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明石公園に隣接する玉津南公園で、僕は上杉達也になり、野茂英雄になり、やがてイチローとなって有名になるはずだった /X-T50、xf16-50mmf2.8-4.8 r lm wr作例。

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明石公園の北側に隣接して、玉津南公園がある。

テニスコートと野球のできるグラウンドがあって、高校生や大学生の頃、ここで野球をするのが大好きだった。ドラフト指名されることを信じて疑わなかった、元吹奏楽部員だったのである。

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マウンドから撮影した。マウンドといっても、グラウンドはすべて平坦なのである。

野茂投手に憧れていた僕は、フォークボールを投げるときだけトルネード投法を真似た。ストライクのけっして入ることのない、ほとんど落ちることのないフォークボールの時だけ投球フォームが変わるのだ。それゆえ、打者はその瞬間、必ず打席を外す。まだ誰にも打たれたことのない僕のフォークボール。

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グリーンスタジアム神戸という野球場を、当時オリックスブルーウェーブが本拠地としていた。明石からは近かったので、僕らはよく、オリックスや近鉄の試合を観戦しに行った。イチロー選手の身のこなしは忍者のようで、「あんな感じでフェンスを走り、ボールをキャッチしたらかっこいいんじゃないだろうか」と誰かが言い出したのである。

何が《あんな感じ》なのだろうと今なら思う。ただ、若さはいつの時代も暴走するようにできている。フェンスに向けてボールを打っては「よじ登れ!壁を走れ!壁に身体をぶつけろ!」などとお互いを励まし合って、毎日、セクシーな野球スタイルを模索していた。

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練習の合間に、ベンチに身を投げてジュースを飲む。毎日、何を喋って笑っていたのだろう。まだケータイを持たない時代だ。明日の約束をすることもなく、誰かが野球をしたくなれば、誰かの家に「遊ぼうー」と自転車で回って声をかけた。

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最後に集まった日はいつ、どんな風だったんだろうと思うことがある。

その日が最後になるということはきっと誰も思わず、明日か明後日も、同じように馬鹿をくり返すのだと信じていた。約束なんてなくても、自転車の気配で僕らはここに集い合うはずだった。

あの頃みんなが乗っていた自転車の色を、今ではすっかり思い出せなくなっている。